2016年12月14日水曜日

アルフォンス・マリア・ミュシャ

「夢想」
 Alfons Maria Muchaは、アールヌーヴォーを代表するグラフィックデザイナーであり画家だ。デザイナーとして数多くのポスター等を制作した。ミュシャの作品は星、宝石、花などの様々な概念を、女性の姿を用いて表現するスタイルと、華麗な曲線を多用したデザインが特徴だ。

Alfons Maria Mucha

 イラストレーションとデザインの代表作として「ジスモンダ」「黄道12宮」「4芸術」などが、そして画家としての代表作として20枚から成る連作「スラヴ叙事詩」が挙げられる。

「ジスモンダ」


「黄道12宮」
「4芸術・音楽」

「4芸術・ダンス」
「4芸術・絵画」


「4芸術・詩」

 旧オーストリアに生まれたミュシャは、19歳でウィーンで舞台装置工房で働きながら夜間のデッサン学校に通う。その後エゴン伯爵がパトロンとなり、伯爵の援助でミュンヘン美術院で学び、パリのアカデミージュリアンで力をつけた。
 彼の出世作は舞台女優サラ・ベルナールの芝居のために作成した「ジスモンダ」のポスターだ。この作品は当時のパリにおいて好評を博し、文字通り一夜にしてアールヌーヴォーの旗手としての地位を不動のものとした。
 またサラ・ベルナールの他、タバコ用巻紙、シャンパン、自転車などのポスター制作を行った。

「タバコ用巻紙」

「シャンパンのポスター」

「自転車ポスター」

 その後、アメリカの富豪から援助を受け、故国であるチェコに帰国し、20点の絵画から成る連作「スラヴ叙事詩」を制作する。この一連の作品はスラヴ語派の諸言語を話す人々が、古代は統一民族であったという近代の空想「汎スラヴ主義」を基にしたもので、空想上の民族「スラヴ民族」の想像上の歴史を描いた。
 スメタナの組曲「わが祖国」を聴いたことで、構想を抱いたといわれている。完成までおよそ20年を要している。



「スラヴ叙事詩」

 その「スラヴ叙事詩」今日から国立新美で公開される。非常に楽しみではあるが、若冲のときのように老(若)男女大勢の観客が訪れることだろう。ゆっくりじっくり鑑賞できるだろうか…。

2016年12月4日日曜日

エドワード・ホッパー


Nighthawks」
(夜の散歩者(夜の鷹)・夜更かしをする人々)
密閉されたガラスの檻か水槽のように、明るく照らし出されたバーが街の暗闇に浮かび上がる。
暗闇から逃れたバーは「夜の鳥」たちに一瞬の、または永遠の退避場所を提供してようだ。
そこは不可思議な場所ではないはずだ。しかし、捕獲と罠が暗示されているようだ。

「エドワード・ホッパー」

 Edward Hopperは、20世紀アメリカの具象絵画を代表するひとりだ。日常のひとコマを写実で描かれてはいるが、不思議な魅力に引きつけられる。
 写真でいえば、こんなアングルで誰が撮るだろうかと思える。フレーミングがまったく独創的だ。しかも誰も絵にしようと思わないところで、しっかり絵にしてしまう。色数も抑制して良い意味で描き込みも少ない。

「ルーム イン ニューヨーク」
二人でいるほうが、ひとりより寂しい。
所在なさと倦怠が画面を薄く覆っている。

 彼の描く人物からは、人間の孤独や精神性が感じ取れる。静寂や空虚さの中から、どこか存在の不安めいた佇まいが感じられるのだ。かえってこのような静止して硬直化したような世界を見せられると、どこか逆にこちら側の精神性をオーバーラップされて来るように思える。このようなコンセプトは、デイビッド・ホックニーにも通じるようだ。

「夜のオフィス」
批評家の解釈を二つ
1.「私たちは画面から、何か奇妙なことが進行中であることがわかる。 2人の関係は別にして、ふたりが見たところ、まだ見つからない書類をさがして、この遅い時刻に資料を読みふけっているらしい情況から、サスペンスに満ちた雰囲気が生まれる。」
2.「この絵においてホッパーは、普通以上に多くの手がかりを語り手に与えている。 デスクの左の方に、女が見たばかりの紙が1枚ある。 ひとは、この官能的な女性が紙を取ろうと手を伸せば、彼女の動作は男を目覚めさせるであろうと想定する。 奥の壁には、ホッパーは人工照明の切片を描いたが、今度はそれが男と女が相互作用するであろう点を劇化する。」


 誰しも生活するうえでふと感じる孤独を表現している。現代の厳しい競争社会との対比で、よりいっそうエドワード・ホッパーの絵画の持つ魅力が引き立つ。今でも人気のある理由は、数十年前に作品が描かれた時代から現在まで、社会の根本的な仕組みが何も変わっていないことが理由だろう。

「ホッパーは実に精神的だ。見る “禅” のようだ。」と誰かが解いていたが、ホッパー自身こんな言葉を残している。

「もしも言葉で言えるなら、絵にする理由などないだろう。」

2016年12月1日木曜日

エゴン・シーレ


 Egon Schieleは、オーストリアの画家だ。彼の時代は当時盛んだったウィーン分離派の影響を受けながらも、独自の絵画を追求した。

「エゴン・シーレ」

 シーレは、年長の画家クリムトと関係深く、エロスが作品の重要な要素になっている点で共通していた。しかし作風の面は両者はむしろ対照的であった。
 世紀末の妖しい美をたたえた女性像を描き、金色を多用した装飾的な画面を創造したクリムトは、「表現対象としての自分自身には興味がない」として、自画像をほとんど残さなかった。

「自画像」

 これに対してシーレは、関心はどこまでも自分の内部へと向かい、多くの自画像を残した。自画像を含むシーレの人物像の多くは激しくデフォルメされ、身をよじり、内面の苦悩や欲望をむき出しにしている。

「死と乙女」

 しかし画家として評価を得始めた矢先、妻エーディトがスペイン風に罹り、シーレの子供を宿したまま亡くなる。シーレも同じ病に倒れ2日後に亡くなる。享年28歳。

 確かなデッサン力に裏付けられたシーレの作品は、現代人が見て見ぬ振りをするような好奇心をかき立てる。

「新作ポスター」

 1981年にシーレは一度映画化されたが、新作の「エゴン・シーレ 死と乙女」が来年1月に公開される。